ベーコン

燻製の豚肉です

トランスレーションズ展―『わかりあえなさ』をわかりあおう /21_21 DESIGN SIGHT

学生時代にすごくお世話になったメディア論の先生がいて、ある講義の中で「人と人とは分かり合えない、だから、分かり合えないことを分かり合う」と言っていた。テクノロジーと表現を取り上げた授業だったからそんなにエモーショナルな講義ではなかったと思うんだけど、コミュニケーションの基本姿勢としていまだにはっきりと頭に残っている。
 そんな言葉をタイトルにしているのが本展だ。「異言語・異文化・その他異なる境遇のものたちの間での翻訳」をテーマに作品やプロジェクトの紹介をしていく(だから前述の講義での「分かり合う」みたいなところは展示の本筋とはずれるのだが...)。失読症の人のためのウェアラブル端末、その言語にしかない言葉をどうやって別の言語で表現するか、サメのフェロモンをつけてサメと通じ合う(?)、ぬか床の混ぜどきを教えてくれるロボットを通してぬか床と通じ合う(?)、縄文土器を現代に取り入れ過去とつながる(???)、など。
 一番面白いなと思ったのは耳が聞こえない人へ音を表現する端末。任意の音に合わせて震える小さな端末で、それを持って外に出てセミの鳴き声と連動させると、ろう者にも鳴き声がわかるんだそうな。また、学校でそれを身につけてダンスの授業をすると、ただ動きを真似るだけでなく、リズム感が使用者みんなで共有されるという。リズム感って音が聞こえないと身に付かないものだ。そういう風に音を端末で振動に翻訳することで身につけて、他の人とも共有でき繋がれることがなんか心に来てその場で泣きそうになってしまった。わからないことをわかりあう、というのはこういう形でもクリアにできるのだなあ。
逆によくわかんなかったのはサメフェロモンとぬか床。そもそも「翻訳」って、片方が何かを伝えようとしているからこそ行われるものだから、ちょっと無理やり感あるなと思った(サメやぬか床はおそらく人間とコミュニケーションとりたいと思っていないので)。片側がわかりたいと思ってりゃいいやん、というのは尤もなんだけど、サメやぬか床があくまで意思を持っている、みたいな見せ方というか語り方になっているのは、サメやぬか床的にもいや知らんし...て感じなのではないか。そういうところに想像力を働かせるのはアートの役割であって、こういうデザイン的な展示としてはなあと思ってしまった。サメやぬか床が語りかけてくれたら楽しいんだけどね。縄文土器については、本当に唐突だったのでなんか別の力が働いている気がしたのでノーコメントとする。
とはいえ、ある概念の表現(翻訳)手段はまだまだたくさんあることが見られて面白い展示でした。誰か・何かと繋がりたい人にとって、自分の知らない表現手段が多いのは希望だよねえ。