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オペラ堕天録 − トリスタンとイゾルデ

趣味の一つとしてチェロを弾いており、プロのオペラ歌手とオペラ演奏をするアマチュアオーケストラに所属している。毎年夏に主催公演を行なっていて、今夏の演目はワーグナー作曲「トリスタンとイゾルデ」だった(一幕・三幕の抜粋)。昨年6月に曲目が決まり、年明けからトリスタンとイゾルデに取り組み始めた。

 

筆者のオペラ演奏歴

これまで、抜粋ではなくフルで演奏したのは「魔笛」「愛の妙薬」「こうもり」の3演目。魔笛は2カンパニーで演奏した。舞台上バンダ(チェロ奏者役)として「リゴレット」にも出演した。トリスタンとイゾルデは(抜粋ではあるが)初めてオペラとして携わるワーグナー作品であった。また、チェロトップとして取り組む初めてのオペラ作品にもなった。

 

マチュア奏者にとっての「トリスタンとイゾルデ

あらすじや構成はwikipediaなどを参照いただくとして、日曜奏者として演奏に取り組んだ感想を言うと「もうとにかくすごい難しかった」の一言に尽きる。自身で演奏するパートの指遣い・弓運びなど演奏技術的に難しいのはもちろんのこと、音楽が途切れずずっと続く(幕中に曲の終わりを示す終止線が一つしかない)ことも演奏ハードルが(私にとって)かなり高い要因の一つだった。「魔笛」や「愛の妙薬」「こうもり」は場面ごとに曲が切り替わって、歌はほぼ一曲ごと(アリア)だった。「トリスタンとイゾルデ」は劇進行に沿って幕の終わりまでずっと歌と演奏が続いていく。レチタティーヴォ(歌唱を使っての語り)の伴奏を幕の間90分演奏しつづけるような感覚である。レチの伴奏は歌のアゴーギクに寄せて楽器の音を出すことが基本。「ずっとレチ」のトリスタンとイゾルデではまず90分×二幕分の歌を把握して、譜読みして、それからようやく指や弓など実演奏上のことを考える。実際には時間の関係で歌の把握と楽器の練習は並行して行ったが、曲の把握も演奏もめちゃくちゃ難しかった。

 

練習経過・本番までの記録

以下、阿鼻叫喚。

2022年1月、年明け早々にトップを打診いただき引き受ける。長い旅の始まりとなった。2021年12月に同団体でオペラ抜粋のガラ・コンサートを開催し、その後から譜読みを始めたが上記のような「ずっと終止線のない曲」の譜読みに、完全につまずいていた。

何をどうしたらいいかわからん。

で、その日に悩みを抱えつつ足を運んだピアノデュオのコンサートで偶然にも「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲・愛の死がかかり、本番7ヶ月前にして逃げ場がないことを覚悟した。

 

この段階の譜読みは、指揮などを習っている師匠に協力を仰いだ。スコアを見通すレッスン(とトリスタンとイゾルデ雑談)の時間を設けてもらった。そもそも曲を聞いてスコアを見ていて落ちる(演奏箇所を見失う)ので、拍子の分かりやすい解釈やチェロパートとして気をつけるところ、オーケストラとして気をつけるべき曲のキーポイント、指揮者を注視したいポイントなどを教えていただいた。これらは練習期間序盤から後半にいたるまでかなり役立った。また、解説を受ける中で、圧倒的に曲が良く、音楽史に残る重要な作品であることを改めて思い知らされた。でもストーリーは要領を得ないな、という感想は今でも変わらない。曲が良すぎてストーリーが要領得ないことに腹が立つ。

 

そのようなレッスンを2度ほど受け、いよいよ初回合奏。上記の準備で助けられたにしても普通に譜読み困難、かつ楽器の練習は間に合ってないので合奏前数日ほどは眠れず*1(意外とそういうところがある)、初回合奏に寝坊して遅刻した。逃亡ではない。

 

2月以降、tutti(歌なしでの合奏)での練習を重ねていった。

基本的に毎週死ぬかと思っている(苦しみつつも楽しんでやっていました)。

なお、「トリスタンとイゾルデ」の一幕・三幕では三幕のほうが難しいと思う。トリスタンが死の直前に錯乱するシーンはとにかく音符が多く大変。かつ、3拍子→4拍子→3拍子→5拍子などと拍子が変わる箇所も多く、なんとなく他の人が弾いている流れで・ノリで対応するのは難しかった。おそらく指揮者にとっても難所で、この箇所は練習期中に繰り返し取り上げた。一幕は一幕で、左指の忙しい連符が詰まっていて苦心した。チェロパート個別でいうと、前奏曲冒頭のトリスタンの動機はいつまでたっても緊張ポイントだった。

 

そうこうしつつも、長いこと練習していると慣れてくるもので

ワーグナーリテラシーが高まり、元気にトリスタンとイゾルデの練習に取り組むようになっている。

 

ところで、練習期中に、ワーグナーの「ローエングリン」「パルジファル」の2作品をN響二期会の演奏で鑑賞することができた。2公演とも素晴らしく(パルジファルの演出はよくわかんなかったが、演奏はよかった)、演奏の完成度を高める道筋を立てる上でも参考になった。でも登場人物が何言ってるかはどちらもやっぱりよくわかんなかった。

ワーグナーは体調に異変をもたらすことがある。用法用量に注意。

 

本番直前期には、歌手陣との稽古が行われる。「トリスタンとイゾルデ」を演奏するにあたっては、国内で活躍する歌手の皆さまをお招きしていた。歌手にとっても特にハードなワーグナー作品をレパートリーとしている方々なだけあり、大変にパワフルだった。ピットに入らない大編成のオーケストラと張り合える声量と、声量を保っていても抜群の表現力。共演できて幸せだった。

この頃には演奏している最中には、技術的な難所はあれど以前に比べるともろもろ """かなりわかった""" 状態になっていた。画像はちいかわのキメラ。こんなになっちゃって、もうワーグナーを知らないあのころには戻れない.......。

本番は演奏会形式。手製の字幕をホールに映して上演した。ソリストや指揮者にオーケストラを引っ張り上げてもらった部分や、技術が原因となる粗も多々あったが、オーケストラとして皆で目指していた水準には辿り着けたかなと思う。

 

演奏する際に気をつけたこと

オペラ作品をチェロトップとして演奏するにあたって気をつけたのは、耽溺しないこと。これには、他のパートやソリスト・指揮者を常にモニタリングすること、自分のパートが出した音に対する他パートのレスポンスを常に確認すること、正しい音程で弾くこと、無為に弓をたくさん使わないことなどが含まれる。今回のトリスタンとイゾルデは前述の通り「ずっとレチ」のような状態なので、自分の感情を表現に乗せまくって耽溺して演奏すると、ソリストに合わなかったり、曲が動かなかったりなど演奏タイミングの面で破綻が起こる。とはいえアマチュアなのだし、ある程度そういう要素があってよいと思うが、それはパートの方にお任せし、自分は努めて冷静に/(なるべく)正確に演奏することだけを心掛けた。演奏を全て完璧にできたかはともかく、特にソリストが入って以降、冷静に演奏するのはずっと心掛けていた。

演奏後は「熱量ある演奏だった」と多くの感想をいただき、冷静に演奏していても、熱量あるっぽく聞き手には感じられたようだった(もちろんそういう感想をいただけたのは自分の演奏だけのおかげではないが)。気持ちも大事だが、それよりも正しく演奏することがより大事で、正しく演奏すれば楽譜で意図された表現は自然と形になって、聞き手にも届きやすい。聞き手に届くと演奏していて楽しい。例えば、「悲しそうな音」を出すのに必要なのは悲しい気持ちだけではなく、それに応じた楽譜を音で再現するための弓の使い方や正しい音程。悲しい気持ちに浸るのも不必要ではないが、悲しいのは現実だけで十分なので、それより腕で作用する部分にリソースを割いたほうが気が楽だし、聞き手にとっても効果的であろうと改めて思い直した(とかいいつつ、今後も悲しそうな箇所は悲しそうな顔をして弾くんだろうが...それはそれで楽しいんで...)。

少々話が逸れたが、「冷静に伴奏に徹する」「作曲家やストーリーの意図(=ほぼ楽譜)に忠実に演奏する」ということを特に意識し、実行できた公演であった。今後、アンサンブルを伴うあらゆる演奏に資する体験であろう。また、技術的な課題(演奏技術・譜読みの技術)も長尺の曲を練習し学ぶ中で浮き彫りになったので、解決する道のりを楽しみに取り組めればと思う。

 

なお、トリスタンとイゾルデに取り組んだ副産物の一つが、

他の曲に取り組むとき「トリスタンとイゾルデよりはマシだから頑張ろう」と思えることである。

*1:オーケストラメンバーが厳しくてプレッシャーがあった、というわけではなく、勝手に緊張していた